読書の楽しみ 司馬遼太郎

読書は完全に乱読で、手あたり次第です。

が、一時期熱中したのは司馬遼太郎さんでした。

以前にも書きましたが、初めて読んだのは「燃えよ剣」でしたね。

 

その後「新撰組血風録」「竜馬がゆく」と幕末を描いたものを読み、さらに「国盗り物語」などの戦国時代ものから「翔ぶが如く」「坂の上の雲」へと読みふけったものでした。

 

ですから、その影響でかなり歴史上の人物のイメージが
変わったりもしましたね。

 

 

 

 

 

 

「世に棲む日日」

 

おそらくこれによって、高杉晋作。吉田松陰を知りましたし、さらに山県や伊藤俊輔を知りました。

こういうイメージは強力で、小説の力はすごいなと思います。

 

たとえば、河井継之助や大村益二郎は司馬さんの作品を読まなければ知らないままだったでしょう。

 

幕末という時代の面白さを司馬さんの作品で知ったあと、戦国時代へと興味は移るのですが、最近よく思うのは読書の影響というものもいつそれを読むか、に大きく左右される、ということです。

 

 

 

たとえば「赤毛のアン」

 

 

 

若い頃に読んで感動した作品はいつまでも忘れられないものです。

一連の「アン」シリーズは今でも読み返したくなります。

ただ最近の新しい小説を読むとき、「本屋大賞」を獲った作品などを読みますが、どうもあまり熱中できないのです。

 

これは集中力が落ちているせいなのかもしれません。

作品のチョイスに失敗しているのかもしれません。

 

実は読んで楽しむ、という能力そのものが落ちているのではないか、とちょっと恐れてもいるのです。

 

 

年齢によるプラスとマイナス

 

肉体的な衰えは、日々の生活や運動などで、まあ対処の方法があります。

 

が、このところ、小説を読む楽しみが、ミステリーや推理もの?といった「エンタメ」系に偏っている気がします。

 

もちろん楽しければいいわけで、別に悩む必要もないことなのでしょうが・・・。

 

「人」にも「出来事」にもあまり動かされない感じがあって、これもまた一種の「老化」なのかな?
とか思うのです。

 

年齢を重ねることはマイナスではなくプラスだと思ってはいるものの、なんとなく感性の衰えを感じてしまうこのごろ。

 

ちょっとばかり疲れているのかもしれませんね。

 

 

「四畳半神話大系」

 

 

森見登美彦のこの作品。

「夜行」「有頂天家族」と読んで、これも読み切りました。

 

けれども、勢いで読んだものの、この「四畳半」からのループというのか、並行世界がよく分からない。

 

だって結局、彼はほとんど同じところに居るのですから。

 

「有頂天家族」でやめておけばよかった・・・・。

 




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