様々な記事を読んで、身仕舞をしながらガンと戦ってきた樹木希林さんを知るにつけて、ある意味ガンで死ぬことは、直前まで意識も明確で、体力も保てるとあって、覚悟さえ持てれば良い終末かもしれない、と思いました。
覚悟が定まる期間を持てる『ガン』
どこかの記事にグラフがあって、最期は急激に衰えるものの、それまでは比較的に元気に過ごせるのが『ガン』だそうです。
自分の死を受け止め、整理するのに十分な時間が持てる。
これは一番望ましいことではないでしょうか?
少なくとも、自分の意思とは無関係に、突然倒れてそれきり、とか、あるいは認知症が進んで人任せになる事態になるよりは好ましいと思います。
ただし、ちゃんと『ガン』を受け止められるか?という疑問は残ります。
時間が十分あるのですから、なんとか大丈夫ではないかと思ってはいますが。
むしろ、自分自身ではなく、家族がそうなった場合の方が嫌ですね。
見守るしかない、という立場がね。
見守り、いつか見送る。
その方が辛いです。
もちろん家族にとっても、それを受け止める時間はあるわけですが。
『死』は人生のどこにでもやってくる、だから
事故死もあれば、若くして突然死もあります。
選ぶことができないからこそ、考えても仕方がない、と思ってきました。
しかし、今63歳。
まだ「老いた」という自覚は少ないですが、一方で、人生の半ば以上は過ぎたな、とも思います。
感覚としては、まだ遠い感じではあります。
でも、父もガンで亡くなっていますし、自分もガンで亡くなる可能性は大きいでしょう。
それは、最期まで意識を保てる、という意味で、望ましいことです。
物の整理もできるでしょう。
そうそうWEB上の整理もするべきでしょう。
ネットバンクとかブログとか。
衣服や本、その他諸々。
最近のドラマで、デジタル遺品の処分?を取り上げていましたが、パスワードとか色々面倒ですから、自分で処分しておくのが良さそうです。
自ら整理整頓ができない
整理整頓って、子どもみたいですが、なかなか出来ないことです。
減らしたいと思っても、物が減らない。
ここ数年の課題が「物を減らす」こと。
必要なものだけあればいいのですが、その『だけ』が定まらないのですね。
まだまだちょっとばかりオシャレもしたい、この本はきっとまた読み返すに違いない、アンチエイジングだってまだまだ、と雑念がいっぱいですから。
それを一刀両断、切り取ってくれるのが、覚悟を決める時の訪れなのかもしれません。
かなり他力本願ですけれど。
まとめ
人生100年となると余計に死に際が大事かな、と思います。
100歳は目出度いことながら。訳の分からないおばあちゃんでいるのであれば、まだしっかりと考えられる時に、最期を見据えたいかな、と。
樹木希林さんが「生き切る」とおっしゃっていましたね。
何でも使い切る、人生も生き切ることが大事だと。
そういえるほどに『生き切って』みたいものです。
・・・・・しかし、数年後にはそんな気持ちはすっかり無くなって、ただのんびりと過ごしているかも。
こういうブログを続けるということは、移ろいやすい人の心を記録し、あとで反省したり笑い飛ばしたりする為かもしれませんね。