人生100年は嬉しいのか、めでたいのか。
よくわかりません。
が、五木寛之さんの「百歳人生を生きるヒント」を読んでみました。
序文「百歳人生の衝撃」
まずは国連の推計から。
2007年に日本で生まれた子どもは半数が107歳まで生きる、と予想されるそうです。
2007年ということは、今11歳。
「人生五十年」の時代ではない、とわかってはいても、やはりこの「人生五十年」というフレーズは強烈で、これ以上の寿命を表わすフレーズにはお目にかかっていないと思います。
それだけ鮮烈な生き方をしたい、という憧れも、このフレーズを思い浮かべる心にはあるのでしょうね。
ところが、今や人生百年。
五木さん曰く
「人生の下り坂が長くなっただけ」
確かに肉体的には「下り坂」
これは日々感じますね。
五木さんは85歳。
「目はかすみ、耳は遠くなり」「肉体は朽ちてゆく」と書いていらっしゃいます。
2017年には日本の女性の3人に1人は65歳以上になったそうです。
五木さんは、この人たちがかなりの割合で社会活動をしている現状を「最近、街や電車でお年寄りが増えた」と感じる、とも書いていらっしゃいます。
で、問題はこの人たちに「老いの自覚」が無いことではないか、とおっしゃっているのです。
誰もが90歳100歳の自分の姿や生き様を、イメージすることから逃げているのではないか、と。
こういうことを、あらかじめ考えておくべきではないか、と。
不安と新しい人生哲学の確立
不安というのは、
① 経済的な変動。病気や事故による変動に対応できるのか、という不安。
② 社会情勢への不安。世界の軍事情勢や自然災害。
③ 健康問題。認知症や老人性ウツ、介護。
このような不安に、内心怯えながら、刹那的に生きているとしたら、これまでとは違った人生観や死生観が必要なのではないか。
これまでのような「人生五十年」の死生観ではない、百歳人生に応じた死生観、哲学を再構築するべきではないか。
と、まずはおっしゃっています。
五〇代からを十年ごとに区切ってみよう!
五十代は「事始め」
これは、百歳人生を生きる為の準備を始める時という意味です。
会社であれば定年前。
まだ老いを感じる年齢でもなく、働き盛り。
だからこそ、今後の「人生の下山」をどう構築してゆくかを考え、準備を始めなければならない時期になる、と。
六十代は「再起動」
「老い」の兆候がいよいよ感じられる時期。
食事や習慣、人間関係を一度リセットして再起動。
親世代の介護問題も迫ってきて、どこまでできるのかを自分で決めなければならない時期でもあります。
七十代は「黄金期」
七十歳は古希ですね。
が、六十代以上に楽しく過ごせるという人が増えるらしいです。
そういう人にとってはまさに「黄金期」
新たなことに挑戦したり、自分時間を楽しんだり。
八十代は「自分ファースト」
嫌われる事を怖れない。
思い悩まない、今日一日を生きて、明日の事を思い煩うな、という事ですね。
九十代は「妄想のすすめ」
回想の世界で遊ぶ、と。
ただし五木さんは85歳ですから、九十代となるとちょっと説得力が無くなりますね。
また、かなり個人的見解、という気もします。
六〇代の「再起動」というのは本当に実感しています。
一度リセットして再起動するのはとても大事。
これが上手くいけば、それこそ「黄金期」が待っているのかもしれません。
まとめ
言い方ひとつでも、
例えば「老いる」と「年齢を重ねる」ではイメージが違います。
人生の五十年が下り坂、と言われると悲しいです。
もっと別の言い方はないのだろうか?と思います。
肉体は下り坂でも、精神は(たぶん)それと反比例して豊かに深くなってゆくのではないか。
でもその部分は表面の「老い」に覆われて、なかなか分かりにくいのではないか?
そんな風にも思うのです。