「言ってはいけない 残酷すぎる真実」を読んだ。

新潮新書の2016年のベストセラーです。

内容は・・・・、

読んでいただきたいと思います。

ただ、

これは、これまでの経験から言って、確かに真実だな、と思いますし、実際、多くの方が経験からして同意されるだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

進化論と遺伝

 

科学というよりも医学の面で、「遺伝」がとても大きな比重を占めることは言うまでもありません。

 

がんの遺伝子のために、早々に乳房の切除をする人もいるくらいですから。

さらに遺伝的な疾患については、前もって分かってしまうくらいに医学は進歩しています。

 

ですから、
親の遺伝子を子が引き継ぐのは当然の事実と言えます。

 

また、
それは個々の個人の遺伝についてばかりでなく、ひとつの民族、種族についての「遺伝子」の存在についても言えることです。

本にもあるように、ユダヤ人について、あるいはアフリカ系
黒人について。

 

生物である以上、ヒトもまた特別なものではなく、受け継がれる遺伝子によって多くのことが決まっている、という事実。

 

運動神経、音痴、知能、犯罪歴?さえも。

 

そもそも、個々の、いわば「素材」が違うのですから、
スタート地点がみんな違うのです。

 

同じように努力して、同じような結果が得られるわけではない、ということは、すでに子どもの頃から、ある程度みんな体験として知っていることでもあります。

 

全てを遺伝が決定する

と言ってしまうのも躊躇はしますが、

大きな部分を占める、とは言えるでしょう。

 

 

経験から知ること

 

努力は必ず報われる、とは限らない。

そもそも「努力できる」というのも資質なわけで。

可能性はあるとしても、「無限」ではない。

 

そういうことが経験として、事実として分かるのです。

 

それが年齢を重ねることの利点なのでしょうね。

 

人の見方が一面的ではなくなります。

いろいろな環境が(遺伝も含めて)その人を形成してきたことが分かれば、あまり人を責める気には
ならない。

 

まあ、それが年長者の良さなのでしょうし。そうでなければ、これまでの人生経験の意味がない。

 

 

まとめ

 

 

自分は決して愛情にあふれた人間ではありませんし、人と深く関わることが苦手でもあります。

 

それでも、職場などで多くの人に接しますし、若い人も年配の人も、そのお母さんやお父さんとも会ってそれぞれの「違い」を強く感じます。

 

そういう「違い」はあって当然ですし、当たり前です。

 

けっきょく、経験が人を寛容にし、緩やかコンセンサスとでも言うような世の常識が形成されてゆくのだろうと思います。

それは若い頃の理想や理念に囚われないぶん、もっとしっかりと強い、人生に根ざしたものです。

 

そういものが、無言のうちに、この社会を支えているのではないか、と思っています。

 

 

 




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