アガサ・クリスティーのミスマープルシリーズが好きで読んでいた中に、ミス・マープルが年齢を重ねて、付き添いのまあヘルパーさんというのか、そういう人が付くようになった作品があります。
「子供扱いしないで」
というようななことをミス・マープルはいつも思っているわけです。
でも、直接には言いませんが。
このヘルパーさんは、やさしく、「お疲れではありませんか?」「お昼寝なさったら?」「一人で外出なんてとんでもない」
とか言うのです。
ミス・マープルは、体は多少年をとっても、まだまだ頭はしっかりしていて、時には放っておいてほしいし、一人で散歩もしたいのです。
また、なんだか子供に言うような言葉遣いにも「仕方ない」とは思いながら不愉快さを感じています。
ミス・マープルの愛する甥が、心配してこのヘルパーさんをつけてくれたのですから、あまり文句は言えないと考えているのです。
しかし、近所に住む若い主婦と知り合いになってミス・マープルは敷地内のガレージだったか、ちょっと忘れましたが、この若い夫婦に住んでもらって、主婦には身の回りの手伝いをしてもらうことにして、「やさしい」ヘルパーさんを断ります。
この若い主婦も、ミス・マープルはまだまだしっかりしているのに、過保護にしすぎと思っていたので、ちょうどよかったのですね。
老人をいたわることはいいのですが、子ども扱いすることはちょっと違うよね、と言いたいのです。
「高齢者」への対応
たとえば、80歳90歳になっても、しっかりしている人もいれば、状態はさまざまです。
頭はしっかりしていても、耳が遠くなったり、足元がおぼつかなくなったりします。
そういう高齢者に、世間は優しいです。
ただそういう優しさには、過度の労わり、行き過ぎた甘やかしがあるのではないか、とも思います。
最近、高齢の方の付き添いで病院などに行く機会がありました。
たしかに看護士さんが気を配ってくれます。
これはありがたいことです。
お医者さんが検査結果の説明をしてくれます。
これは微妙に内容を端折っているように思えるときもあります。
分かりやすい説明だけで終わらせているな、と感じることもあります。
本人はどう感じているのか聞いたわけではありません。
でも、一人でいる時間も大事にされていますし、ひとりでできることはやろうとされています。
甘えられるところは甘えたらいいのです。
それは高齢者の特権でもありますから。
でも、自分に置き換えたとき、いつか「老人」扱いされて、特に優しくされたりしたら、ちょっと腹立たしくちょっと悲しいだろうと思います。
あと20年もして、80歳くらいになったら、また別の気持ちになるのだろうか?
そこは分かりませんが。
・・・そのあたりの抵抗が無くなってゆくのが年を取るということなのだろうか?と思うと、それもなんだかなあ・・・・・と思います。
まとめ
こんなことを言っても、今でも充分に労わられているのかもしれませんね。
本人が気づかないだけで。
もう若くはない、ということをこちらが利用することもあるのですから。
どこかで折り合いをつけながら、年齢を重ねてゆくしかありませんね。