「風が強く吹いている」は三浦しをん氏の小説です。
久しぶりに眼が赤くなるほど泣かされました。
本来は「青春小説」という括りのようですから、若い方が読むものなのかもしれません。
三浦氏の作品はけっこう読んでいますが、こんなに泣いたのは初めてです。
何故だろう?と考えていました。
10人だけで箱根駅伝を目指す物語
ある大学の弱小陸上部。
一人の天才ランナーを得て、動き出しますが、他のメンバーは陸上部どころか、走ったこともないような顔ぶれ。
故障と古傷を持ったハイジ先輩が、一から指導してまずは予選会突破を目指します。
走ることの喜びを知る蔵原走と先輩ハイジ、駅伝を目指す仲間の物語なのですが。
おそらく若い時にこれを読んだら、ちょっと別の感想を持ったかもしれません。
今は、走(かける)が走る時に見る景色や、感じる風や、どこまでも行けるという無限の可能性が、なんだか妙に自分にも感じられるというのでしょうか?
肉体を離れて精神だけが走って行く感じ?
そんな喜びと感激を発見した嬉しさで泣いたのかもしれません。
読書の楽しみ方が変わってきた?
乱読を重ねてきましたが、色々な物語のさまざまな人生模様をずいぶん読んできました。
それはそれで楽しかったのですが、今は人生の行き着くところには、そう差は無いなあと思い、むしろある一瞬の心の有り様というのか、心地よさ感じたいと思うのですね。
走っているときの高揚感とか。
どこまでも走れると感じる、自分への信頼とか。
おそらくそれは、肉体が老化しても、まだ精神は死なない、というと大げさですが、つまりは感覚はとても自由なんだ、と確認できる幸せなのでしょう。
消えない「青春時代」?
肉体は日々老いてゆくにしても、気持ちはそう変わらない。
特に若い頃の感覚が微妙に残っていて、蘇ってきます。
ただ、それは、その頃の貴重さというのか、たぶん今はもっと俯瞰的な見方をしていて、もっとこだわらない考え方になっているので、少し尖っていて自分のことばかり考えていたあの頃が懐かしいのかもしれませんね。
でも、この小説を読んで感じたのは、若い頃の感覚とかではなく、「今」の自分の感覚なのです。
つまり、どこまでも走りたい、と思う感じであり、風を受ける気持ち良さであり、もっと走れる、という自信?
この身体を脱ぎ捨てて、どこか遠くへ走って行けるというような喜びなんですね。
可能性というのか。
まだまだ追いかけるものがある、という感覚?
そういうものを思い出させて貰ったから、泣けてしまったのかもしれません。
一瞬が実は生きている証?
感覚が妙に鋭くなる一瞬。
ああ、走っているな、と感じる一瞬。
そういう一瞬なら体験できると思うんです。
ただそれは観念だけのことで、根底には肉体の衰えがあるのですね。
残念ですが仕方のないことです。
それでも、
風を受けているという感覚は嬉しかったですね。
ただ、そのあと、本屋さんで手にとったのが
「なんとめでたいご臨終」だったいうのは、ある意味自分のバランス感覚を表していますね(笑)