まさか二度目の「東京オリンピック」がやってくるとは予想外でした。
一度目は1964年小学三年生のとき。
たぶんテレビを見るために、学校の授業が短縮されたのでは?
いえ、三年生だったので単に早く帰宅しただけかも?
あまり覚えていないのですが、とにかくテレビを見た記憶はあります。
確認しようにも、父の母もすでに亡く、かすかな記憶だけが頼りですが。
たぶん開会式を観たのだろうと思いますね。
リアルタイムでみたのは、あとはマラソンの「裸足のアベベ選手」
おそらく見たのでしょう。
後付けで、バレーボールの「東洋の魔女」を知ったような。
そこまでオリンピックに興味はなく、でも閉会式はきっと見ていたでしょうね。
むしろ「親世代」の重大イベント!?
このあと、両親は家を建てました。
昭和30年代の終わり。
まだ30歳前半?程の両親にとって、おそらく未来は明るく、希望に満ちていたでしょう。
自分たちで建てた家をどんな思いで見たのか、子供の私にはあまり記憶がありませんが、今思うと、充分に若々しい両親の明るい生活設計が見える気がします。
もちろん子供のわたしにとっても、その家は希望でしたし、明るい未来の証のように思えました。
初めての自分の部屋。初めての応接間。
それまではいわゆる「アパート」暮らしでしたから、庭も嬉しくて、二階へ上がる階段も、テラスも、輝いて見えました。
東京オリンピックは私たちの親世代にとっては、おそらく「戦後」からの脱却であり、「戦争体験」からの旅立ちであり、新たな未来への「エール」であり、希望に満ちた将来へのスタートだったでしょう。
その家に父は亡くなるまで住み、その後、建て替えられた家で、母は90歳まで暮らしたのでした。
今は弟が一人でそこに住んでいます。
昭和30年代から、平成、さらに「令和」へ
私が結婚したのが昭和58年でした。
いまや「昭和」はかなり遠くなってしまいましたが・・・・。
「鉄腕アトム」「巨人の星」「ゴジラ」「ビートルズ」「グループサウンズ」
などなど、まだ明るい未来が信じられる、努力は報われると思える、そんな空気にあふれていた時代でした。
平成はわたしにとっては「子育て」の時代になりました。
一人息子が成人して時代は「令和」に。
かつての「道徳」「品格」「礼儀」が失われ、人は「恥」を「恥」とも思わずに、他人のバッシングをし、ここぞとばかりに『批判してよいと思う相手』に群がります。
インターネットがもたらすべきものはこんなバッシングではなかったはずなのに。
おそらく世界が温暖化による自然災害に傷めつけられる中で、人は崇高さではなく、あからさまな利己心、自己憐憫、嫉妬、間違った正義感などで本性をさらしてゆくのでしょう。
私自身にとっては「令和」が最後の時代になるのでしょう。
未来がもはや「明るい」とは信じられない時代。
そんな時代に、何を信じて生きてゆくのか?
何とも覚束ない足取りで、それでも気持は強く持って、私なりの今後を生きていかなければ!!
・・・しかし、二度目の東京オリンピック、なんと心が踊らないフレーズでしょうか。