「壮年期」という言い方

 

先日、「高齢者」は75歳以上とするべき、と言う提言が「日本老年学会」からされましたね。

 

世界保健機関(WHO)では65歳以上と定めているようです。

 

ところが最近よく「壮年期」という言葉を聞きます。

主に看護を学ぶ時の年齢や健康の定義で使われるようです。

「壮年」という言い方は以前からありましたが、「壮年期」はちょっと違うようですね。

 

 

 

 

 

「壮年期」とは40歳から65歳?

 

 

いわゆる「働き盛り」の年齢を指すようです。

精神が充実していて、活動が活発になり、指導的立場になって成熟した社会人として重要な位置を占める時期、と定義されるらしいですね。

 

65歳の定年を境に、現職でなくなると「向老期」になるらしい。

 

「前期高齢者」とか、様々な言い方があるようですね。

 

言い方はともかく、精神的にも肉体的にも、「成長」もしくは「成熟」から、「退化」に向かうのは自然な流れでしょう。

 

ただ、どうせなら「壮年期」の方がいい、とは思いますね。

 

気分の問題にすぎませんが。

 

年齢で区分するしかない、ということもあって、どう言われても別に構わないのですが、個人的にはこのところかなりいろいろな部分の「退化」を感じています。

 

 

自分の感覚と肉体の反応との「時差」

 

 

一番感じるのはこれですね。

たぶん昔の「できる」感覚が強すぎるのでしょうが、階段を降りる、袋を開ける、落としたものを拾う、といった普通の動作に、なんだか時間がかかる。

 

読む、書く、聞くということに集中できない。

未経験のことに挑むのがめんどくさい。

歩くスピードが遅くなって、後から来た人に追い抜かれるようになった。

などなど。

 

こういう時の、自分のおぼつかない感じがとても嫌
です。

「え~。なぜこうなんだろう?」

「わ、どんくさいわ、自分」

と思うときの、なんともいえない情けなさ。

 

「折り合いをつけてゆく」しかないなあ、と分かってはいるのです。

で、まだまだ若い、とも思っていたい我儘。

こういった気持ち全部をひっくるめて、楽しんでいくしかないんだろうなあ、と思っています。

 

 

『老化」もまた「成熟」のひとつ?

 

 

いや、違うでしょう!

と自分でツッコミつつ、どこまでが「成熟」で、どこからが「老化」なのか、けっこう微妙ですよね。

 

少なくとも、「成熟」も「老化」も、生きてきた時間の表れですから。

 

どちらも自分の歴史、と思えば、まあ仕方がない、というのか、ここを否定したら、還暦を過ぎた意味がない、ということになってしまう。

 

この自分でやっていくしかないのです。

諦めず、落ち込まず、なんとかやっていこう、と思う
2月の寒い日曜日。

 

そうそう、見たい映画があったのです。

面白そうなミュージカル映画。

忘れないようにメモメモ。

 

 




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