という記事を発見しました。
この記事によると。そもそも「高齢者世帯」というのは、世帯主が65歳以上の2人世帯のことだそうです。
この世帯では、「保健医療」「高熱・水道」「その他」の費目の出費が増えているそうです。
つまりは「交際費」=子や孫への出費
「その他」の大半は交際費だそうです。
しかも子や孫への支出だそうです。
この記事の主旨は、今後ますます平均寿命が伸びたら、公的年金の減少、医療費や保険料の増大で、支出が増えるのだから、この費目を節約しましょう、ということのようです。
と同時に、子供世帯(といっても40~50代)に対して、親のスネをかじり続けていたら、結局は自分たちに親世帯の援助という形でツケが回ってくるのですよ、と言いたいようです。
確かに我々の親世代(この場合は90代80代ですが)は我々に比べてゆとりがあるように見えます。
我が家などは、まだまだ「老後」どころではなく、現役で働いていますし、一人息子はようやく就職か、といった状況です。
ですから、「交際費」が増える心配はまだありません。
孫もいませんしね。
ただ、思うのは、先はそんなに長いのだろうか?ということです。
将来が見えない、でも仕方がない
確かにどこまで生きるのかわからないから、貯蓄を取り崩さないようにしないといけない、というのは分かります。
でも、だからといって頑張って節約して楽しいですか?
好きなことをしてのんびり生きていけるほど莫大な貯蓄はありませんが,たまには旅行に行くくらいの楽しみは欲しい。
子や孫にプレゼントするのが楽しみなら、それもいいではありませんか?
長生きに備えて貯蓄を大事に守るのもいいですが、人生不測の事態の連続でしょう。
いつ何が起こるか分からないのです。
・・とか言って、「キリギリス」的に生きようというほどには覚悟はありません。
未来のために、今我慢する、
というのは、いつまで言えることなのかな、と思います。
未来を考えるからこそ、今を楽しみたい、というのもアリですよね。
たとえば、80歳になった自分の未来。
どんなふうに想像しますか?
ちゃんと歩いているかしら?
ちゃんと話はできるかしら?
そもそも生きているかしら?
可能性はいろいろありますが、そこに行くのに、今何かを我慢するだけの価値がある「未来」でしょうか?
そんなことを考えてしまうのです。
まとめ
子どものころ、60歳といえば、もう「おばあちゃん」でした。
80歳になってみると、今予想している以上に、元気で若々しくいるの・・・・かも・・・・しれません。
それは分かりません。
でも「明日がわからない」というのを、若い頃より強く思うようにはなりました。
「明日」には「夢」があったのに。
今は「明日」には「運」しかないような気がしています。
矛盾していますが、そう言いながら、2年3年後の「夢」は
持っていたりします。
そうやって、気づいたら80歳、というのが幸せなのかも
しれませんね。