「セルフネグレクト」は紙一重!

ここ数日、この言葉をよく目にします。

高齢者の「ゴミ」問題や、孤独死。

さらには若い人のセルフネグレクト問題まで取り上げられています。

そのくらいに、「セルフネグレクト」は、普通の,状態から離れたものではなくて、ほぼ裏表と言っていいくらいに、薄い紙一枚くらいのかすかな違いしかないところにあるのだ、とこのごろ思います。

 

 

 

 

つまりは「気」次第

 

 

私の母は、乳がんと、転移した肺がんで、抗がん剤治療を続けています。

主治医によると、乳がんは小さくなったとか。

肺がんはあまり変化がみられないので、しばらくはこのまま薬で様子を見ましょう、と言われています。

もう89歳なので、手術はできればしないほうがいいのではないか、と思っています。

母は買い物に行き、料理をし、足元はややおぼつかないとはいえ、日常生活をきちんとしています。

 

この生活を支えているのは、私の弟の存在だろうと思います。

 

もちろん、いい大人、というか、もう初老というかそれでも母にとっては大事な息子です。

二世帯住宅なのですが、弟は離婚して一人暮らし。

なので母が頑張っているわけです。

ですから、母にとってはセルフネグレクトは存在しません。

 

一方、90歳になる知人は、足を痛めて入院中ですが、今後の生活にかなり不安を感じています。

一人暮らしで、これまでは気ままに旅行をしたりして過ごしてきましたが、今後は車椅子が必要になるかもしれません。

 

リハビリを始めてはいますが、気持ちはかなり変化するようで、日によって相当弱気になっています。

 

まわりの人のことばかりでなく、自分自身もおそらく気持ちの持ちかた次第で、「閉じこもって」しまう可能性は高いな、と感じています。

 

もういいや、と思ってしまったら、なにもかもほったらかしにしそうな気がします。

 

まあ、家族がいますから、そんな気持ちになったとしても日常の仕事はいろいろあるので、なんとかなっているのです。

 

家族がなくて、ひとりだったら、自分をどこで支えるのか、何が自分を踏みとどまらせるのか、わかりません。

 

 

 

支えは他者との関わり

 

 

あまりに当たり前のことを言ってゴメンナサイなのですが、それしか無いのですよね、たぶん。

 

それすらも、自分で関心を失ってしまったら、きっと閉じこもってしまうのだろうなあ、と思います。

 

また、ときどき、そのほうが楽かなあ、とも思うのです。

 

そんなとき、「紙一重」だと感じます。

 

 

まとめ

 

 

年齢を重ねることは、とても「弱く」なることだ、と最近思います。

たとえば、階段を降りる、

これだけのことに危険を感じます。

ぶっちゃけ、元気ぶって、若ぶってはいても、不安が押し寄せてきます。

老いることの不安。身体の反応が鈍くなったと実感する時の憤り。

 

自分で抱えるしかないそういう思いに向き合うとき、もっと強くなるには何があればいいのでしょう?

 

 



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