「介護」を学ぶことは、つまりは人の「老化」を知ることなのですね。
もちろん細胞は「老化」してゆくわけで、これは避けることはできません。
たとえば「目」
白内障は「老化」なので誰でも目のレンズが白く濁るのだそうです。
見えにくくなってきたら、手術で回復できるそうで、それも
5分ほどの手術だとか。
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ただし、「老化」には個人差があって、一律に語ることはできない。と。
姿勢が前傾姿勢になり、歩幅が狭くなる、というのも「老化」
これは骨や筋肉の衰えからくるのですね。
つまり、肉体的な老化は避けようがない事実で、ただ早い遅いの個人差があるだけなのです。
たとえば「認知症」や諸々の病気
アルツハイマー型認知症のほかにも、脳血管疾患が原因となる認知症などがあり、症状にも違いがあります。
最も多いアルツハイマー型は、発見が早ければ進行を遅らせることができるそうです。
また「認知症」と言っても、何もかもがわからなくなるのではなく、失われる記憶もあれば、残っている記憶もあり,周りの人の気持ちも伝わるので、簡単に「認知症」とひとくくりにはできない。
いわゆる「生活習慣病」が根底にあって、高血圧、糖尿病が様々な不調につながってゆく。
「認知症」や他の病気が原因で「妄想」や「幻視」が表れることもある。
「老い」とはどういうものかを学ぶというのは、結局はテキストにある「老化を受容すること」を学ぶことに繋がるようです。
私は現在62歳で、仕事を持っていて、まだまだ働く気持ちもあります。
自分では、多少の「老化」は感じますが、(老眼とか、集中力の低下、反射能力の衰えなど)それでも、「老人」という自覚はありません。
しかし、たとえば、70歳80歳になって、さらに肉体が衰えてゆくと、どこかでそれを受け入れ、認めつつ生きる、という覚悟というのか、意識が必要になるのでしょう。
また、そういう「受容」があれば、きっと気持ちも落ち着いて、やがて迎える『終末期」を受け入れ、穏やかで明るい日々を過ごせるのかもしれませんね。
「介護」とは結局は「終末期」を見守ることなのです。
ですから、人の尊厳とは何か?
何を望み、何を大切にしようとしているのか?
その人を理解しなければ、介護することはできない、ということなのですね。
「受け入れる」ことが全てか?
自身の老化も含めて、人は老いるものであって、病気にもなります。
できれば健康寿命を保って自力で生活していきたいですが、こればかりは予想がつきません。
身体が不自由になるかもしれませんし、認知症を発症するかもしれません。
今後、待ち受けているかもしれない未来は厳しい『老化』という現実です。
アンチエイジングと言ってみても、虚しい抵抗のような気がします。
でも、それでも、
認める前に、まだまだ抵抗したい。
諦めないこと、これが全て、と思います。
ネットのニュースか何かで、企業が高齢者の募集をしたところ、予想以上の応募があったとか。
意欲のある人がそれだけ多いのです。
受け入れることも大事ですが、できること、やりたいことを諦めないのも大事です。
まとめ
どんなふうに「終末期」を迎えるか。予測はできません。
希望するようなものになるのか、全く予想外の事態になるのか。
どちらもアリだなと覚悟しつつ、今は今を大事に、できることをするだけ。そんなところでしょうか?
後悔も多い人生ではありますが、やり直せない以上は、先に進むだけです。
まだ夢もたくさんあります。
これからだ、と思って頑張りましょう!!