このところ、「終の棲家」があちこちで語られている気がします。
どのように人生の終末を迎えるのか、これは大切なことではありますが、一番予測がつかないことでもあります。
予想と期待と「実態」
たとえば、ある90歳の男性は、自分が妻より長生きするとは思わなかったといいます。
妻に看取ってもらうことはかなわず、今は某高級老人ホームで暮らしています。
子どもはいますが、身の回りのことはできるので、今の一人暮らしがまあまあ気に入っています。
何かあったときの対応はホームがしてくれますし、子どもには葬儀のことも含めて既に希望は伝えています。
子供がいても、夫婦で、あるいは一人で、老人ホームに入るという人は多いですね。
食事の用意をする必要がなく、周りに人がいるので安心ですし、病院が付随しているホームもあります。
介護状態になったときに、どこまでそのホームにいられるのか、そこがホームによって違うところではありますが、今後はそうした「終の棲家」が増えてゆくのだろうと思います。
一方で、我が家を「終の棲家」に
と考える人も多いです。
地域の医療サービスの充実もあって、在宅で医療サービスを受けることができれば、病院ではなく、自宅で最期を迎えることが可能です。
その場合、ある程度の自宅の改築、手すりの設置やトイレ、浴室の改装、などが必要でしょう。
家族と一緒に住んでいるのなら、家族との話し合いと理解がなければ難しいことになります。
こうした準備や話し合いの前に、突然の病気や事故で入院したり、介護状態になってしまうこともありえます。
そうなると、あなたの意志に関係なく、全てが決まってしまうかもしれません。
まあ多くの人は、私も含めて、まだ60代なのだから、もっと先の話、と思っているのではないでしょうか。
確かにまだ仕事もしていて、気持ちは「現職」ですから、そこまでは考えが及んでいません。
というよりも、まだまだそんなゆとりがない、というほうが正しいでしょう。
少なくとも子供が独立するまでは、(まだ大学院生なので)自分たち夫婦の老後の棲家が視野に入ってきません。
しばらくはいろいろな方の話を聞きながら、情報を集めるだけになりそうです。
理想は「人」の中で
先日テレビの特集番組で、安心して過ごせる「終の棲家」として、ホスピスを兼ねたホームが取り上げられていました。
介護士さんに世話をしてもらって楽しく過ごすことで、認知症が改善されたり、余命数ヶ月と言われた方がまだまだお元気だったりしていて、こうした家庭的なホームの存在が今後ますます必要になる、と言われていました。
こういう最期まで安心して住めるホスピス的な施設は公的な施設としてはまだ無いようです。
今後の高齢化社会において、おそらくさまざまな「終の棲家」が提案されるでしょう。
できるなら、自分のことは自分でできるようでありたい、と願っていますが、さて、どうでしょうか。
今はとにかく元気で仕事をしながら、なんとかもうしばらくはこのまま過ごさせてくださいと神頼み、という心境です。