ちなみに昨日のウォーキング時間、約2時間。
買物がてらウロウロして、美容院にも行って。
本屋さんにも立ち寄りました。
帰宅は18時頃でしたが、そのあとが問題。
疲れてなにもできず、家事をするだけで終了。
疲れを溜めない境目は?
たとえば、バスに乗らずに歩く。
そう決めたとします。
行き、帰り、さらに別方向にと移動する場合、ここを頑張って歩くとかなり疲れますし、膝が痛くなったりします。
この時、どこが限度かが自分では判断できない。
「疲れた」と思ったら休む、バスに乗る。
たぶんそれが正解だろうと思うのです。
ただねえ、運動ってそれじゃダメじゃん、と感じるわけです。
しんどいところを、もうちょっと頑張るのが大事でしょ?と。
これって昔の運動部のなごりでしょうか?
根性論にしがみつくわけではありませんが、合理的に判断する基準がわからない。
よくジムでは「痛いときには無理しない」と言われます。
とはいえ完全に何もしないのではなく痛くない程度に体を動かすのがいいらしい。
「痛くない程度」?
これも難しい。
どこまで?
どのくらいまで?
・・・・と判断ができないのです。
結果、疲れたら寝てしまう
自分で判断できないときは、体が勝手に決めます。
もう「寝よう」と。
そういうときは確かに何もできないので、寝たほうが良い。
これは経験で分かります。
ただ、それでは一日の予定が狂いますね。
今日したかったことができない、まあ、さほど重大ではないにしても、自分としては心残りです。
少なくとも、これまでの経験から、そういう時に無理をしても上手くいかないということは学んでいます。
問題は「無理をしない」を続けていては、どんどんできることが減ってゆくのではないか?という不安が残ることです。
ウォーキングにしても、時々「早歩き」「歩幅を広げて歩く」など、スピードや歩幅を変えることで、負荷をかけているので、やはりあと一歩「無理」をすることも必要なんです。
また、そうでないと十分な運動にはならないと思います。
「仕事」で運動?
これはかなりの後付けですが、60歳を過ぎてから、介護職員初任者研修を受けて資格を取り、ヘルパーとしての仕事をはじめました。
基本的に家事補助とか、老人ホームでのシーツ交換といった軽めの仕事をしています。
それでも、これまでの事務職というか、デスク仕事とは違って、体を動かすことになります。
家事を続けている人は高齢になっても筋肉が衰えず、元気な人が多い、と言われています。
私より高齢のヘルパーさんたちもみんな元気です。
ですから、この仕事を選んで良かったと思いますし、できるだけ長くこの仕事ができたらいいなと思っています。
入浴介助や、おむつ交換などの身体介護は場合によってはかなりの重労働になります。
ケースバイケースですが、そうした仕事の現場は、所属する会社によって、かなり環境に差があります。
研修中に講師の先生からよく言われたのは、職場(の環境)は自分で選びなさい、無理だと思ったら迷わず別の職場を探しなさい、ということです。
介護の仕事はまだまだ収入も低く、セクハラなどの問題もあって、働きたい現場、とはなっていないようです。
ですから、まずは仕事を辞めずに、続けることが第一で、その趣旨で先生もそうおっしゃっているのでしょうね。
自分としては、ある種の運動になりますし、感謝もされ、誰かの役に立っている、というやりがいもあって、今この仕事をしていることに喜びを感じています。
・・・長くなりましたが、仕事だからちゃんと責任を果たそう、という意識もあって、結果として時に「無理」はしても、やっていられるのです。
健康で元気に生きてこそ!
今、高齢者を対象とした運動施設が増えています。
いわゆる「デイサービス」とは違って、食事や入浴はなくて、しっかり運動をする施設ですね。
高齢者自身も、まあケアマネージャーに勧められることもあるでしょうが、そういう施設を望んでいるようです。
いくつになっても、筋肉を使い、動き続けることが必要なんですね。
健康寿命を延ばし、できれば寝たきりにならずに、すんなりと最期を迎えたい、それがみんなの願いでしょう。
特に日本人は寝たきりで最期を迎える人が多いと聞きます。
健康寿命と実際の寿命の間に数年もしくは10年近い差があるということは、それだけ介護が必要な期間があるということですから。
人生100年時代、というのは人生がこれまでの観念よりも長くなっている、ということで、みんなが100歳まで生きる、ということではありません。
ですが、90歳は当たり前、90歳を超えても元気な人が多いというのは確かなことです。
それならば、元気で、年齢を重ねていきたいもの。
「仕事」だから多少の無理はできますし、気持ちに張りがあるから元気です。
まだまだ60代。
探り探りの人生ですが、なんとかやっていけそうな気がしています。