母親と息子

 

母親にとっては、息子はいつまでも子ども。

 

実家の母は88歳になりますが、毎日の買い物と食事作りは欠かしません。

 

父は早くに他界して、ひとりなのですが、二世帯住宅に息子と暮らしています。

 

息子は残念ながら離婚してひとりなので、結局母と息子が同じ屋根の下で暮らしているわけです。

 

 

「息子のおかげ」

 

 

母には年の近い姉妹がいますが、病気がちたっだり、足が不自由だったり、決して健康とはいえません。

 

母も高齢なりの身体の違和感はあるでしょうが、主治医にも、周りの友人にも、「息子さんのおかげ」で元気ですね、と言われています。

 

これが「母親」なのでしょうね。

 

最近多い中高年の「ひきこもり」にしても、親の家にひきこもったまま、親の世話になっているのですから、親不孝には違いないのですが、ある意味、親の元気と気力の素にもなっているのだろうと思います。

 

皮肉なことではありますが、誰でも「誰かのために」となれば頑張れる、というのは真実ですね。

 

特に母親と息子、というのは、父親と娘、とは違ったもっと生物的な結びつきというのか、本能的な関係のような気がします。

 

母親と娘、というのがまた、かなり厄介な関係で、息子に捧げる無条件の愛情とは質が違うように思われます。

 

そこには同性としての厳しい見方や、批判や、反発があります。

 

息子にはそれが無いのですね。

 

「結婚しない」多くの「息子」たちが母親に世話をされて暮らしている訳ではないと思いますが、母親にしてみれば、たぶん、息子の世話をすることは嬉しく楽しいことなのでしょう。

 

ただ、これは母子の年代によっても違うので、

たとえば、私の息子は20代半ばですが、結婚するしないはともかく、早く独立して欲しいと思っています。

また、息子の世話をするのが楽しいとは思っていません。

寧ろ、自分のことは自分でやらんでどうする!と思っています。

 

これが、私の母の年代の90歳近くになると、息子は50代とか60代。

もはや老老介護とか言われる年代です。

 

母にとっては息子のために何かするのが生きがい。

これは今の確かな事実なのです。

 

息子本人はどう思っているか分かりませんが、この際、それはどうでもよくて、母の元気の素なのだから、そのままそうされていなさいね、と願ってしまいます。

 

なんであれ、「生きがい」を持つことは大事ですし、それで、自分の体を大事にし、身体と頭を使い続ければ、老化を嘆くヒマなど持たずに日々忙しく過ごしていけるのです。

 

そういう意味で母は幸せだと思います。

 

 

「老後を楽しむ」はずだったけれど・・・

 

 

父が亡くなってのち、母は趣味のお琴の発表会に出たり、お琴仲間と旅行したりして、のんきに楽しんでいました。

 

そういうふうに生活していきたい、とも言っていました。

 

ところが、息子が離婚して、息子夫婦のために用意した二世帯住宅にひとりで戻ってくると、そうもいかなくなりました。

 

息子が欝状態になって、何かと心配なことが重なり、いつのまにか、母の関心のほとんどは息子に向けられることになったのです。

 

母自身も、今も元気でいられるのは息子のおかげ、と言っていますが、さて、どうなのでしょうか?

 

 

まとめ

 

 

母が元気でいてくれるのは娘としては嬉しいことです。

 

が、おそらく母が思い描いていた「老後」とは違うだろうと思います。

 

誰でも思い通りにはならないのが人生、とはいえ、これでいいのだろうか?とも思います。

 

が、介護されるより介護する側に、世話されるより世話する側に立つのが、生きる力になると思えば、これも良いことなのだろうと思ったりもします。

 

自力で生きること。

諦めないことが全てだと思うこの頃です。

 

根底には「誰かのために」「何かのために」というのが必要なのでしょうが。

 

20年後、30年後の自分はどう考えているのでしょうね?



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