昔、夫は「白髪に憧れる」と言っていたものですが、最近は言わなくなりました。
まあ、言わなくてもありますし・・・。
言わば「同志」でしょうか
もう結婚して30年以上になりました。
大学の同級生ですから、同級生感覚はずっとあります。
今では共に生きてきた「同志」のようでもあります。
と言っても同じ志をかかげてきたのではなく、お互いにやりたいことをやってきたのですが。
ただ言えることは、たぶん世界の誰よりも夫のことを分かるのは私だということです。
夫もきっと同じように思っているだろうと思います。
夫婦というのは本当に不思議なもので、当事者にしかわからない繋がりがあります。
子どもとの繋がりは親子という血の繋がりですが、夫婦は他人です。
鬱陶しく思うときもあります。
それでも、まるっと理解できて分かり合える唯一の人なんですね。
実の親とも友人とも違う、異性だからこそ分かり合えることがあって、もちろん異性だからこそわからないままのこともある。
そういうことも含めて、やはり共に生きてきたパートナーなのです。
まあ、これは人類愛みたいなものでしょうか。
もしも今、夫を失うようなことがあったらひどく寂しくなると思います。
着かず離れず
「付かず」かな?
これまでもそうでしたが、いつも二人でいる夫婦ではありません。
自分のことは自分で決めてやってきました。
仕事もそうです。
ただそこには、なんというか「矩を超えず」というような暗黙の了解があったように思います。
自分だけの思い込みかもしれません。
何かに夢中になるとそこに突っ走るところは同じ。
でも、お互い視野が少しずれていて、自分の見えないものを指摘してくれる。
また最近はモノの言い方のコツがわかってきて、言葉数が少なくても伝わるようになってきました。
ちょっと遅いかもしれませんね。
相手に怒ることもなくなってきて、そう言う人だから、と諦めるようになってきた。
人は変わらないなあと思いますが、変わるところもたくさんあると分かりました。
人に対する多様な見方、言葉遣いへの配慮、ひとこと飲み込むタイミング。
日常のさりげない過ごし方が変わってきたように思います。
これが年齢を重ねてきた結果なら、悪くない。
そう思っています。
まとめ
夫は今日63歳になります。
私は62歳。
若いつもりでいても、もう還暦を超えて、肉体の衰えも感じます。
身体を鍛えるのがほぼ趣味な夫は、腹筋を誇っていますが、う~ん、ちょっと筋肉が落ちているような・・・・。
アンチエイジングに励んでいる自分は、かなりの老化を感じています。
視力しかり、足元のおぼつかなさもあって。
いずれ一人になるときが来るのでしょうが、できるならこの唯一の「同志」ともうしばらくは過ごしていたい、と思っています。
追記。
なんとなく自分の方が長生きすると思っていましたが、正直分からなくなりました。
これを書いたのは夫の誕生日です。
それから半年余り。
今は、自分の体調に不安をかかえています。
健康については、それこそ根拠の無い自信を持っていたのに。
時とともに物事は変わってゆきますね。