来年90歳になる母は、以前にも書きましたが、肺がんの抗がん剤治療を続けています。
乳ガンからの転移らしいのですが、乳ガンが分かったのも昨年で、詳しい検査をして肺がんが発見されました。
抗がん剤で乳がんは小さくなったらしく、肺がんは特に変化がないようです。
「高齢者」の選択
母は乳がんだけなら切除がいいのではないか、と考えていたようで、切ってしまったほうがスッキリする、と言っていました。
ところが肺がんもみつかったために、お医者さんと相談して抗がん剤治療になりました。
特に副作用が無かったので安心しました。
母自身も、日常生活が普通に続けられるのを喜んでいました。
高齢者の場合、何といっても入院によって足が弱るのが心配です。
場合によっては認知症の心配もありますし、退院後に今までと同じような生活ができるかどうかが一番の懸念事項です。
幸い母は、家事もすべてやり、認知症の兆しもないので、母自身の判断で治療法を選び、今もひとりで買い物にも行っています。
遠くに住んでいるのでなかなか会いにいけませんが、弟が一緒にいるので安心しています。
高齢者のがん治療や、病気の場合の対応は、本人が判断できればいいのですが、そうでない場合は、大変です。
3ヶ月に渡る延命治療
母の姉が昨年亡くなりました。
一人暮らしでしたので老人ホームに入り、そこで脳梗塞?で意識不明となり、そのまま寝たきりで栄養はすべてチューブを通して摂る状態で3ヶ月。
眠ったまま亡くなりました。
近くに住んでいた甥がときどき御見舞に行っていたようです。
後で聞くと、同じように眠ったままの人が並んでいて、なんだか異様な光景だった、と。
どういう最期を迎えることになるのか、全く分かりませんが、少なくとも、延命治療を望むのか、お墓はどうするのか、といったことは確認しておかなければならないと思いました。
本人の意思がはっきりしていなければ、誰も延命治療を拒否はできないでしょう。
ぞの判断がどちらであれ、家族には後悔が残ると思います。
母の姉はついに目を覚ますことなく、眠ったまま逝きました。
それは姉の寿命だったのだ、と思うしかありません。
もしもこれが母であったら、母の意思が明らかでないなら、きっと私は延命を願ったでしょう。
たとえ、眠ったままであっても生きていてほしい、と今は思います。
それは若い頃の思いとは少し違っていて、「死」というものが美しいとは思えない、「昇華」とも思えない。もっとなんというか、1個1個の細胞の終わりのように思われて。
ならば、最後の一つの細胞になっても、生きていてほしいと願う私のエゴなのですが。
そのくせ自分はあとかたもなくすっきりと消えてしまいたい、と願っているのですから、やはり自分勝手なのでしょう。
まとめ
何をまとめるのかもちょっとわかりませんね。
ただ、思うのは、「死」の捉え方が若い頃とは違ってきているなあ、ということです。
観念的であり、美化していたように思う「死」は実は普通に日常生活の続きであり、特殊なものではない、と思うようになってきた、ということです。
年齢を重ねるというのはそういうふうに意識が違ってくることなのかな、と思います。
たぶん、みんな、気持ちの持ちようが変わっていって、物の見方や考え方も変化して、老年期を迎えるのでしょう。
その変化はとても個人的なものなので、わざわざ言うまでもないことなのでしょう。
でも、そうやってみんなどこかで「老い」を認めながら、やっぱり元気に頑張っているのでしょう。
だから、
そんな、元気なみなさんにエールを送ります。
頑張りましょうね!