親が老いて行くというのは、子にとってはショックです。
かつては、この人だけが頼りであり、自分を愛してくれる大事な人であり、どこまでも自分の味方だと信じられる人なのに。
いつの間にか、言葉の端々に「老い」が見えてくる。
こんな事は言わなかったのに、とか。
身体も小さくなって、とか。
親世代の介護 一つの転換点
自宅での介護は、始めは例えばヘルパーさんの助けを借りながらスタートします。
一人暮らしなら、掃除洗濯などの家事のお手伝い、買い物をヘルパーさんにお願いして。
脚元が不安になると入浴の介助も。
介護保険が使えれば、ヘルパーさんやデイサービスを利用しながら、自宅で過ごすことが可能です。
しかし、歩けなくなったら。
ここが問題です。
つまりトイレに行けなくなったらどうするか?
私の母は、骨粗鬆症で骨が脆くなっていて、最近、圧迫骨折しました。
特に転んだわけではなく、腰が痛むので診てもらったら圧迫骨折とわかりました。
コルセットを作って装着すると少し楽になるそうです。
圧迫骨折の話はよく聞きます。
高齢になると、トイレに座るときの衝撃で骨折するそうです。
背骨が次々に骨折して背中が曲がってしまうとか。
高齢になると、手術はしないほうがいいらしいですね。
母は、いずれは歩けなくなる、と言われて、結構ショックを受けています。
その場合、施設に入ることを早めに考えておく方が良いと、主治医に言われたそうです。
実際に歩けなくなる前に、施設を決めておく方が良いと。
母にとっては自力でトイレに行けなくなるくらいなら、寿命が来たと覚悟する時、と言うのですが、こればかりは勝手に決められないこと。
認知とは無縁だけに、肉体が老いて行くことを認めつつやってきましたが、トイレに自力で行けなくなったら、と思うと、さすがに「長生きしすぎたかしら」などと言い出しています。
遠く離れて暮らしているので、日々の世話をするわけでもなく、電話で話をするくらいですが、母も来年は90歳。
大して親孝行もせずに来てしまった、と忸怩たる思いがあります。
尊厳?
しかし、例えばオムツの世話は、身内ではなくヘルパーさんにお願いしたいという人が多いという事実があります。
ベテランのヘルパーさんも自分の親の世話は無理、と言いますし、自分自身も子供の世話にはなりたくない、と言います。
親にとっても子にとっても、そこは互いに守りたい尊厳部分ではないか、と思うのです。
同居のお子さんが面倒を見る「老々介護」は身内の情としては理解できますが、おそらく互いに辛いのではないでしょうか?
どこまでできるのか?
どこまでするのか?
そこを落ち着いて考える事が必要だと思うのです。
老いは容赦なくやって来ます。
肉体も精神も、老いて行くという現実を、自分の場合は認めつつも、親の老いはできれば認めたくない。
それは、親への愛というよりは、親の老いを認めたくない子のエゴなのでしょうね。
そうして、親の「老い」と直面することは、やはり悲しいことです。
また、記憶の中の親を、一番いい状態で留めたいという思いもあります。
親子だからこその思い乱れる気持ちは、どんな事態になっても、きっとこのまま続くのでしょう。