「昭和」が遠くなってゆきます。
平成の30年間の次は「令和」
美しい名前です。
・・・・が、いわゆる「老後」の時代。
さて、あと何年元気でいられるでしょうか?
「昭和」が青春「平成」が成熟「令和」は老後?
私は昭和30年生まれなので、平成元年の1989年には34歳でした。
結婚して数年、母になろうとしていました。
その時から30年、息子は今年29歳になります。
子育ても一段落。
あとは自分たち夫婦の老後ですね。
「令和」という元号は万葉集が出典というだけあって、美しいと思います。
また初めての中国古典以外からの元号ということで、政治的な意図もちょっと感じたりもします。
ただ、流れとして、そろそろ日本固有の文化から元号を考える時期に来ているといえるかもしれません。
でも、真っ先に考えたのは、この「令和」の何年まで元気でいるだろうか?ということでした。
少なくとも「平成」元年には考えもしなかったことです。
確かに時は流れていますね。
昭和といっても「戦後」だけ考えれば、昭和20年1945年が終戦ですから、その年に生まれた人が今年74歳。
平成1年1989年生まれの人が今年30歳。平成生まれの人は今30歳以下ということですね。
つまり、今30代40代50代60代70代前半あたりが昭和生まれです。
社会を支える大人たちです。
・・・が、次第にこれまでの常識というのか伝統というのか、価値観?が変化して。
まだ新たな指標が見つからない、迷える世代とでもいうのでしょうか。
そんな感じ。
未来が希望に満ちているように思われた時代が、いつの間にか終わって、どうやら「老後」には孤独と貧しさが待っているようだ・・・・と思っているわけです。
「令和」は美しいけれども・・・・
まだ実態がない、目指したい場所?というところでしょうか。
地球温暖化に伴い、たぶん豪雨や地震、火山の噴火や津波といった天災は増えるでしょう。
そんな中で生きてゆく。
ある種「ケセラセラ」精神がなければやってゆけない気がしています。
そこにやんわりと、日本古来の文化、つまりは「和をもって貴し」とする心持が持ち込まれた感じです。
「和」とは何か?
「和」は本当に「尊い」のか?
一瞬の「美しい日本」の幻影。
「令和」にはそんなイメージがあります。
どっこい生きてゆく・・・
元号がどう決まろうとも、これまでがそうであったように生きてゆく。
それだけしかできません。
「老年」をどう生きるか、という課題の前には、元号がどうであれ、関係ないのです。
健康寿命をできるだけ伸ばすように努力するだけ。
自分の未来は自分で作ると決めて、やってゆくだけ。
情けないことに「老化現象」があちこちに出てきた気がします。
手先のしびれ。
膝の痛みも少し。
運動能力の低下。
反射神経の老化。
物忘れ・・・・などなど。
そんなものだ、と認めつつ、そんな体しかないわけですから。
今あるものを活用していくだけ。
新天皇は59歳で即位とか。
「令和」30年で89歳?
その時自分は94歳?
あら、いやだ!!
94歳!!!
さて、生きているでしょうか?
・・・生きていたいような、生きていたくないような・・・。
「令和」30年の世界など想像できません。
よくある空想映画のような廃墟にはなっていませんように!!