「老後」と言うのか、生き方というのか、死に方というのか?
どれもあてはまるようですね。
つまりは、どういう老年期を過ごすのか?ということです。
樹木希林さん。曽野綾子さん、佐藤愛子さん。そのほかたくさんの書籍が並んでいます。
やはり女性の書籍のほうが素直に読めますね。
結局は女性のほうが強いのでしょうか。
孤独にも、「死」にも。
配偶者を失っても、それなりの覚悟もしつつ、でも元気で生きてゆく。
そんな強さがありますよね。
最近読んだ曽野綾子さんの本もそうでした。
曰く、
明日がわからないからこそ、自分のことは自分で最後まですると決めてやってゆく。
曰く、
孤独を楽しむ。孤独を恐れない。
ものすごく要約すると、こういうことになります。
まずは怠けないこと。
怠けたがる自分としては、なかなか厳しいことですが、何とか自分の足で最後まで歩こうと思えば頑張るしかありません。
歩くだけでなく、できることは自分でやる。
これ、ものすごく大事です。
とくに「歩く」こと。
最近どうも歩き方がカタカタしている気がします。
「カタカタ」というのはスムーズでないこと。
カクカクかもしれません。
ギクシャクかな?
脚と膝と股関節(?)が上手く相互作用していない感覚です。
自然でない感じ、と言ったらいいのでしょうか?
たぶん、そこを気にしているから、余計にそんな感じになるのでしょう、と思いつつ、ではなぜ気になる?というと、やっぱり違和感があるのです。
転ぶことへの恐怖があるからかもしれません。
そのために、これまでのようには自然に歩けないのかも。
「転ぶ」「転倒」の怖さは、いろいろなところで見聞きします。
「寝たきり」の始まり、とか「認知症」の発症とか。
ですから歩くことに慎重になって、その分、ギクシャクしてしまうのかもしれませんね。
「転倒」の怖さを意識しすぎて
これは
「しすぎ」ということが問題、というよりも、
「意識」すべきなんだと思います。
結果、転倒が防げるならば防いだ方が良いのです。
手足の骨折も大変ですが、頭を打つとか、首に異常が残るとか、腰を傷めるとか。
若い頃とは違って回復には時間がかかります。
リハビリにも時間がかかりますし、万が一長期入院になれば、それこそ認知症の恐れも出てきます。
自分のことは自分で、と決めたつもりが、そうはいかなくなって、人を頼るようになって。
人を頼るようになると、どんどん依存心がでてきます。
自立できる自分でいるためには、そこで甘えてはいけないのです。
でも、その気概を無くしてしまうと、一気に年老いてしまいます。
もうね、気は心、というのか、気持ちの持ちよう次第というのか。
「まだまだ」学ぶことがある。
「まだまだ」することがある。
「まだまだ」働かなきゃ。
なんでもいいから「まだまだ」と思いましょ。
それが一番大事で、一番必要なんだと思っています。