今の日本では介護状態で数年を過ごして亡くなる人が多いそうですね。
自分のためにも家族のためにも、できれば「介護」にならずにいたいものです。
そのためには、「甘えない」「自分でする」
しんどくても、歩く、動く、自分で考える、それが大事。
周りの親切が仇になる
たとえばヘルパーさんに家事の補助をお願いします。
そうすると、ヘルパーさんは基本なんでもやってくれるので、それが逆に仇になるわけです。
できることは自分で。
掃除も、料理も、洗濯も。
当たり前にやってきたことは、当たり前のこととしてやり続けましょう。
家族は心配するかもしれませんが、そこは自分のやる気次第ですから。
私の88歳の母は、今も自分で買い物に行きますし、掃除、料理、洗濯すべてしています。
一人暮らし、というか息子と二世帯住宅で同居していますが、自分のことは自分でしています。
そういう気持ちでいるから、元気なのだろうと思います。
一方、子どもと同居していても、子どもが心配してヘルパーさんを付ける場合もあります。
自分ですることがなくなってゆくと、身体を動かさなくなりますし、あまり歩かなくなり、さらにはテレビの前でぼーっとして考えなくなり、認知症が始まります。
子供が心配して過保護になるのは考えものです。
また、そういう子どもの「思いやり」に遠慮してその通りにするのは避けるべきでしょう。
老いは日々進んでいきますから、せめて「現状維持」するだけでも、努力が必要です。
介護されるよりする側に
一方で、同じ年齢でも、介護する側になっている人もいます。
70歳をすぎてなお、現役のヘルパーさんとして働いている人がいます。
この違いは「働く」ことに生きがいを持っているかどうかの差なのでしょうか?
あるいは、一人暮らしで、今後も一人で生きてゆこうとする決意の違いなのでしょうか?
高齢者に、介護される方と介護する方、どちらがいいかと尋ねると、ほとんどの人が「介護する方」
と答えるそうです。
結局自分で動き、自分で考え、自分で決めていかないと自分の「尊厳」を守ることができないのです。
寝たきりになって、チューブで栄養を摂って生き延びることをあなたは望みますか?
自分の意志をきちんと表明するためには、それができる用意をしておかなければなりません。
筋肉が退化しないように。
認知症にならないように。
日常生活を自分できちんと過ごすことをできる限り死守しましょう。
あなたを甘やかそうとする「親切の罠」に落ちてはいけません。
まとめ
どこまで頑張れるか。
そこは人それぞれでしょう。
私は、できればずっと仕事をしていきたいですし、ずっと自分のことは自分でやっていくつもりでいます。
それが家族に心配をかけない老後の暮らしだと思っています。
それを守るために、ウォーキング、アンチエイジング、サプリメントなど、どんなものをどれだけしたらいいのか、あるいは、どれだけ摂ったらいいのか。
それを知りたいと思っています。
人生はきっと最後まで、「挑戦」なのでしょうね。
負けない自分を作っていきたいと思います。